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気鋭の旅する服屋さんが、人生をかけて別府で探求を続ける理由

気鋭の旅する服屋さんが、人生をかけて別府で探求を続ける理由

2020.10.16

GENSENたち

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初めて別府に到着したとき、行橋さんはほとんど誰も知らなかった。彼はまず、別府での滞在先とコミュニティの両方を探した。そして、「別府清島アパート」を見つけたのだ。多様なアーティストが住む、スタジオ、ギャラリー、そして家という3つの機能を持ったアパートだ。ここに居を構え、温泉染を極めるための旅が始まる。

「温泉染」とは、ミネラル分を豊富に含んだ別府温泉と草や花などを使って、布や木綿を染色する技法だ。清島アパートは、ここ数年間、日本全国を一人で旅していた彼に、切望していたコミュニティと場所を与えてくれた。
物語はここから始まる。

居場所を探している、すべての人へ

家族に会えない、大学に行けない、試合ができない、大好きなバンドのライブに行けない。コロナウイルスは、物理的な距離だけでなく、心の距離も、アメーバのように引き離しては近づけて。何を大切にして生きていきたいか、大きなクエスチョンを私たちに投げかけている。これからお話しする彼のストーリーから、私たちはどんなヒントを得られるのだろうか。

自然に囲まれた家、ミシン、布や糸

日本各地を周って服を作る「旅する服屋さん  メイドイン」の名前で活動している行橋智彦さん。旅する服屋さんメイドインでは、自然の素材や方法を使ってカスタムメイドの服を制作している。

行橋さんは、「周辺の自然環境を利用して美しくユニークな作品を作るための新しい技法を見つけたい」という情熱に、常に駆り立てられ、インスピレーションを受けている。彼に初めて会った時、すぐに彼の顔を縁取る長い巻き髪に目を奪われた。彼には周囲を包み込むような落ち着きがあり、自然と穏やかに全てを受け入れられるような気持ちにさせてくれる。会ってすぐ、彼は少し緊張した面持ちだったが、家へと続く道を歩いているうちに、だんだんと緊張の紐が解けてきた。

行橋さんの家は山の近くで、周りは木々、温泉、滝と猫に囲まれている。中に入ると、まず目に飛び込んでくるのはミシンと裁縫台。しかし、すぐ後ろにならぶ美しい布や糸に一瞬で気づく。これらはすべて、彼自身が温泉染の技術を使って染めたものだ。鮮やかでありながら、どこか淡くもある。そして同じ色でも濃淡があり、それぞれの色に少しずつ違いが見られることに気づいた。じっと見つめないとわからないくらいの差だ。彼の作品に対する細部へのこだわりは見事である。

明るいオレンジ色の靴下が教えてくれたこと

生まれも育ちも東京、5人の子供の長男として育てられた行橋さんは、幼少期の家庭環境も自分のライフスタイルに影響を与えてきたと考えている。

「兄弟の多い家庭で育ったので、親の注意を引くのは大変でした。しかし思い出に残っている出来事が一つあります。」

「小学校の運動会でした。体操服は皆同じものを来ていましたが、靴下と靴は好きなものを身に付けることができて、私は明るいオレンジ色の靴と靴下を履きました。この日、母は子供たちの写真を撮っていました。 そして運動会の後、母は私が選んだ鮮やかなオレンジ色の靴と靴下が目立って見つけやすかったと褒めてくれたんです。とても嬉しかったのを覚えています。長男なのでかまってもらえることは少なかったですが、その日は自分の選んだ服で、母に褒めてもらえた。」

「このような記憶に残る瞬間を、自分で作った服を通じて他の人のためにも作りたいという想いでこれまで制作してきました。」そう行橋さんは語ってくれた。

 

なぜ今の取り組みを行っているのかを知るために、行橋さん自分自身についてさらに聞いた。

彼は自分を「旅する服屋さん」と名乗った。

これまで彼は訪れた多くの地域で、自然の要素を使って服を制作してきた。そしてユニークな作品を作るためにそれぞれの土地独自の要素を取り入れることを大切にしている。

行橋さんは旅をする服屋として一箇所に長く留まることはほとんどなく、鮮やかなオレンジ色のバンに乗って常に移動していた。オレンジ色のバンに寝泊りすることもあったという。彼はユニークな作品を作るために、各地でその土地ならではの自然の素材を使う方法を探しに、何年も時間をかけたそうだ。

旅の終わりと始まり

 何年もの歳月をかけて発見と創造の旅をした後、これまでに発見していた様々な技法や訪れた地域の魅力は、いずれも表面しか触れられていないのではないかと感じ始めた。

「旅をしながらものを作ることをコンセプトにしていたので、持続的で意味のある繋がりを生み出せる程の期間、どこかに滞在することはなかった。サーカスのように、町にやってきて喜びや時にエンターテインメントをもたらしては、落ち着く頃には次の目的地に出発していました。」

このような土地との関係性に徐々に違和感を感じ、常に移動していることに疑問を持ち始めた。彼は、一つの場所で制作を行うことを決意し、これが別府に定住することのきっかけとなったのである。

旅する服屋さんのコンセプトとはやや矛盾しているが、彼はそれが自分に正直であり続けるための唯一の方法であり、創作を続けるために必要だった。そして、冒頭の話に繋がる。彼は別府に到着し、清島アパートというアーティストの家に落ち着き、温泉染を習得する旅を始める。

開拓のバラと棘

どの業界でもそうであるように、行橋さんは常に様々な壁に直面している。自然の中にある素材を使って新しいものを生み出そうと努力している。何を作るか、何を使うかによって彼のチャレンジは常に変化しているのだ。

温泉染を行ううえで、直面している課題について話を聞いた。

「温泉染は、温泉を活用した染めのやり方です。今までにないもので、だからこそ相談できる場所や先輩、同僚がいないんです。全て試しては失敗し、試行錯誤の繰り返しです。環境は常に変化しています。今日染めた草の色は一週間後には同じ色にならないでしょうし、先週使った温泉水の方が次の週の水よりミネラル分が高いかもしれません。」

その結果、色や質感が違ってくる。常に思い通りの色にしたり、もう一度同じものを作ることが難しい。これは彼の悩みの種であるものの、温泉染の醍醐味として一番の楽しみでもあり彼の仕事を一層ユニークなものにしている。

彼が作品に込めている情熱

彼の作品を受け取った人の反応の中で、最も印象に残っている瞬間は何かと尋ねた。それは、お客様が服を受け取った直後の瞬間であると同時に、彼の作品が着ている人を取り巻く会話のきっかけになった時だという。着ている人の輝いている目を見ることが喜びだそうだ。彼が目指すのは、作品の中に自分自身の個性を残すことではなく、むしろ着る人々が作品の中に自分自身を見つけることなのだ。

たとえ何年かかっても、彼の追求は終わらない

日本ではどの都道府県にも、その土地の文化として知られているものがある。行橋さんの目標は、「温泉染を、別府の文化や伝統の一部にすること」だ。彼はその夢の実現に向けて歩みはじめた。どんなに長くかかったとしても、人生をかけて実現させたい夢だと語った。

編集後記

行橋さんは創作するとき、常に「新しいやり方」を模索しています。私は、それこそが、彼の真の美しさだと感じました。温泉染は、毎回が新しいことの発見。未来をみる行橋さんの素敵な生き方に触れ、私自身も胸に響くものがありました。

あなたのGENSEN(源泉)は
何ですか?

自分で見て感じたいという気持ち

WRITER

Thato Ramatseba

Thato Ramatseba(Thato)

南アフリカ

現在、週一度の料理の準備と配達サービスを始めようと活動中。目的は人々に世界の様々な地域の味を探求する機会を与えながら、健康的な家庭料理を手頃な価格でアクセスできるようにすること。

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別府では様々なバックグラウンドを持った人々が集まってコミュニティを形成しています。普段なかなか聞く機会のない多様な人々の声を聞いて広めたいです。書くこと、読むこと、分かち合うことはより良いコミュニティを築くための重要な要素であり、変革的な考え方を促し、考え方を変えるきっかけにもつながると考えます。

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